こんなことが現実に起きるなんて…トヨタを襲ったル・マンの悪夢。なぜ中嶋一貴は涙したのか?

車・交通

 

87回目のル・マン24時間レースが、2019年6月16日午後3時にフィニッシュを迎えた。笑みを浮かべる場面もあったが、表彰台に上がったTOYOTA GAZOO Racingに属するドライバーの表情は、一様に暗かった。頂点に立った3人は8号車のドライバーで、中嶋一貴、F・アロンソ、S・ブエミだった。2位の位置に、小林可夢偉、M・コンウェイ、J-M・ロペスの3人がいた。


2018年のル・マン24時間レースで初めて総合優勝を果たしたトヨタが、2年連続で伝統の耐久レースを制した。8号車にとっても連覇であり、トヨタにとって2年連続のワン・ツー・フィニッシュだった。8号車のドライバーは、このレースの結果でドライバーズ選手権のタイトルを獲得した。中嶋は、日本人として初めてFIA世界耐久選手権(WEC)のチャンピオンになった。サーキットで行われるFIA格式の国際カテゴリーで日本人がチャンピオンになるのは、史上初である。


その中嶋は、ウイニングランを終え、24時間走り切った証である汚れきったトヨタ8号車を表彰台の下に止めた。クルマから降りてきた中嶋の目は涙に濡れていた。うれしくて泣いたのではなく、7号車のドライバーの心情を察したがゆえだった。「2016年に同じようなことを経験しているので、しんどさがよくわかりますから」と、言葉を絞り出した。

 

 

■2016年の悪夢を彷彿させる7号車のアクシデント


2016年に中嶋がドライブしたトヨタ8号車は、ポルシェやアウディといった競合を抑え、2番手以下に大差をつけてレースをリードしていた。ところがフィニッシュまであと5分というところでマシンがトラブルを起こし、スローダウン。手に入れかけていた勝利を逃した。脱力した中嶋は、チームマネジャーの肩を借りてマシンから這いだした。


2019年のトヨタ7号車も似たような経緯で優勝を逃したのだった。レースが始まって23時間を迎える頃、先頭を走っていたのは7号車で、2分後ろを8号車が走っていた。8号車は途中、最高速の伸びを欠く現象に悩まされていた。給油のためのピットストップを利用して、空力性能に影響を与えるフロントセクションやリヤセクションを交換してみたが、症状は一向に改善されなかった。速度の伸びを奪っていたのはきちんと閉まりきらないドアであることが判明するのに、時間がかかった。それこそ地球を何周分も走った経験があるのに、初めて経験するトラブルだった。

 

 


一方、レースでの7号車は順調だった。スタート後、23時間を迎える頃までは。タイヤの空気圧を監視するセンサーが、車載機器を通じてピットに異常を知らせた。送られてきたデータは、右フロントタイヤがスローパンクチャー(何らかの原因で空気が少しずつ抜けていく現象)を起こしていることを伝えていた。放っておけばタイヤは破裂し、剥がれたトレッドが鞭のようにしなってボディを叩き、配管や配線や熱交換器などを壊してマシンに重大なダメージを与える恐れがあった。


一刻も早く手を打たなければならない。チームは7号車を運転していたロペスにスローダウンを指示し、ピットに呼び戻した。そして、スローパンクチャーを起こしている右フロントタイヤを手早く交換。コースに復帰した7号車は速さを取り戻すはずだった。ところが7号車は、相変わらずスロー走行を続けていた。ノロノロ走るクルマにとって13.626kmのコースはいかにも長く、そのためピットレーンの入口で8号車に先行を許した。8号車を見送ったロペスは悔し涙を流していた。

 

 

■センサーの配線が前後逆に…

 

 


スローパンクチャーを起こしていたのは右フロントタイヤではなく、右リヤだったのだ。異常を知らせるセンサーの配線を前後逆につないでしまったのが原因だった。本当は右リヤタイヤの空気が抜けているのに、「右フロントが異常」とピットに情報を伝えていたのだ。トラブルの芽だったので、ドライバーにどのタイヤに異常が発生しているのか感じ取らせるのは無理な相談だった。「万全を期して4輪すべて交換していればよかったのになんで……」と、複数のチーム関係者が誤った判断を後悔した。


2016年に中嶋のトヨタ8号車が失速したとき、後ろにいたのはトヨタ7号車ではなく、ポルシェ2号車だった(7号車はトラブルにより3周遅れになっていた)。だから、当時のトヨタはポルシェに勝利を献上した格好になった。今回は7号車が脱落しても、背後に8号車がいて、チームとしてはトップの座を守ることができた。1台に何かあったときのためにもう1台がいるのであり、そのための2台態勢である。チームとして成長した証だ。


それでも、悔しさのほうが先に立った。「ドライバーと一緒に泣いた」と、TOYOTA GAZOO Racing WECチーム代表の村田久武は言った。「申し訳ない。判断ミスだったと謝った。それまでは最高のレースだったけど、『そんなに甘くないんだよ』と、ル・マンの神様に言われた気がした。そのとおりだと思った」

 

 


スローパンクチャーはなぜあのタイミングで7号車に起きたのだろうか。8号車に起きてもおかしくないのに、後続に十分なリードを築き、あとはルーティンの給油を行ってゴールまで慎重に走ればいいだけの状況で、7号車に起きた。しかも、スローパンクチャーを起こした側のセンサーの配線が間違っていたのだ。神様がそれを知っていて、あのタイミングで意地悪をしたとしか思えない……。


8号車に先行を許したロペスは勝利を諦めていなかった。いや、ただ怒りのやり場がなかっただけだったのかもしれない。タイミングモニターが示すラップタイムが、ロペスの心意気を示していた。残り時間を考えれば逆転は不可能だったが、先頭を走る8号車との差は、周回ごとに縮まっていった。


フィニッシュの瞬間を華やかに演出するため、先頭を走る車両にペースを緩める指示を出し、後続のチームメイトと一緒にゴールするシーンが、ル・マン24時間ではよく見られる。今回のトヨタもそういう演出はできたはずだったが、そうはしなかった。あるいは、もっと大胆に踏み込んで、7号車を元の位置に戻す指示を出すことも考えられた。


「ゴールまでものすごく悩んだよ」と、村田は葛藤があったことを認めた。「だけど、何のために24時間、(7号車と8号車が)ガチンコで勝負したかって話でしょ。最後に美しい絵を作るために24時間走っているわけじゃない。そんな人工的なことはしたくないし、オレらの主義じゃない」


トヨタ8号車は単独でチェッカードフラッグを受け、16.9秒後に7号車がフィニッシュした。
 

オーサーの個人サイト

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モータリングライター&エディター

世良耕太

モータリングライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1世界選手権やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『トヨタ ル・マン...

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